top of page

雪ヶ谷通信 No.1 病との闘いとは?(病気の捉え方)

病とは何だろうか?

気を病むとは何だろうか?

良く聞く言葉であるが、きちんと考えた事がある人は少ないかもしれない。


現実問題として、全ての人は死に向かって日々を過ごしている。

全ての人が日々、死に向かっているという当たり前の事実から目を背けて生きているのではないだろうか?と私は日々関わる人達や、日常から感じております。

明日死ぬかもしれないと言われると、「そうだね、気をつけないとね」と大半の人が言うが、言葉とは裏腹に、大した事はないと、瑣末な事として聞き流している人が殆どであろう。

しかし、明日死ぬかもしれない可能性に対して、そんな事はないと誰も本当は断言できないのです。

そうであるならば、病を患い余命があとこれくらいですと医師に伝えられた人と、現代医学的な数値で問題がないとされる所謂、健康な人との境界線はないとも言えます。


大事なのは健康な人も病める人も、個々人が死に向かっているのだと認識した上で、日々どのように過ごすのか?今死んでも、明日死んでも後悔しないのか?という事が最も生きる上で大切な事なのではないでしょうか。


その様な考えで「今を生きる」という、この一点に集中した時、病とは無理に闘う者でもなく、それに心を囚われるべきものでもないのであると私は思います。

大切な事は、このように過ごしたい、行動したいという強い意志が一番必要であり、それがある内は人は病に容易く負けるようなものでもなく、時として病に打ち勝つ素晴らしい存在であると私は思います。


しかし一方で、病を宣告された人というのは得てして全てを失ったかの様な悲劇のヒロイン・ヒーローの様な状態に心が落ち込む事も当然としてあります。

自分の状態がどうなのか?これを把握する事は非常に難しく、私も多々ありますが、大抵の人が自分が思ってるより自分を客観視できておりません。


その様な状態・状況は「死」というものに対して軽く考えていた人からすると恐怖でしかなく、理性的でいられなくなります。


昨今で言えばコロナウィルスに関してがそれでしょう。マスコミが煽った影響も強いとは思いますが、いきなり死の可能性を突きつけられたり、家族を人質に取られたかの様に感じた人が多かったと思います。

病院では感染するからと、死の間際でも家族や親しい人達と面会すら出来ず、家族に誰一人として看取られずに亡くなった方々も沢山いらっしゃいます。

葬儀においても、家族、友人との最後の別れをきちんと行えなかった人達も沢山いる事でしょう。


国や隣人から非難を浴びる、加害者になりたくない、ルールは守る物と、会いたい人に会えない苦しい状況だったと思います。

ただ、本当に後悔なく生きるという時にそれらの世間一般の常識に従っていて本当に生きたと言えるのかは疑問が残ります。


私個人の意見で言わせてもらえば、会いたい人にはその時に会いに行かないと必ず後悔します。

また誰かに会いたいと思いつつも、自身が動けないのであればきちんと言葉にして会いたいと伝えるべきです。

私も昨年の秋に父を膵臓癌で亡くしましたが、出来る限り会ったり、ルールに従わざるを得ず、会えない時にはビデオ通話で良く話しました。

死に目には会えませんでしたが、それらを自分で毎日選択して行動していたお陰で後悔は非常に少なく済みました。


話しが逸れましたが、病を抱えた人達に持って欲しい心持ちとして、医療従事者の意見にキチンと耳を傾けつつも、必ずしもそれが正解という訳ではなく、ご自身で判断して治療内容・今後の人生をどう生きるのかを決めて欲しいという事です。


これは今これを読んでる病を抱えた、あなたを突き放すつもりは微塵もなく、あなたが本当に望んでいる事は何なのか?を今一度考えて欲しいからなのです。

人は病気になると弱気になります。昔から「気を病む」「病は気から」という言葉からも言われるように東洋医学では人の感情、簡単にいうと気持ちが原因で病になり、また病が悪化すると言われています。

私も鍼灸師として患者様に接する機会が度々ありますが、中には心の問題で病や痛みが悪化するケースも多々あります。


病や痛みとは存在しない事が本来のあるべき姿であり、またそれらが生ずる時とは私達の心身から私達への無言のメッセージであると捉えるべきです。

事実、よくある肩こりなどの肉体的な症状とは起こるべくして生じたものが殆どです。

人の身体とは、大抵、何か特定の事をしたから直ぐに病や痛みとして現れてくるものではありません。

それらが現れるまでには一種のタイムラグがあり、自身を労わる事を忘れてしまった結果として生じてくるのです。

そして、生じた病や痛みとは私達に対して、身体からこれ以上無理しないで自分を労わってあげて欲しいというメッセージが隠されているのです。


現在、病や痛みを抱えながらこれを読んで下さっている方は、それらを再認識して頂き、ご自身の心と身体に対して労いの言葉をかけてあげて欲しいのです。「ありがとう」、「よく頑張ってくれたね」と。

その上で、今後の事を踏まえて十分に心と身体を休める事は勿論の事、栄養のある物を取り、心が本当に喜ぶ事をし、何かに挑戦する気持ちを持って頂きたいと私は思います。


人は目的なく生きることはできません。

これは健康な人も病める人も同じです。

何か一つでも良いので、これだけは人生でやっておきたいなというものに対して行動して欲しいと思います。

難しく考えなくても良いのです。

例えば家族に普段から感謝の言葉を言えてなかったから言っておこうでも、家族と旅行に行っておきたいなや、最近あまり会ってない遠方の友人に会いに行くでも、観たかった映画を観るなどでも何でも良いのです。

大事なのは決める事です。健康な時には忘れがちな、人生の時間というものに対して再認識する事は非常に価値ある経験です。

その点では病や痛みとは、健康のありがたみだけでなく、様々な事を学べる良い機会であったとも捉えられます。


そして私を含めた医療従事者というのは、病や痛みを抱えた人達に対して、やりたい事をやってもらえる様にサポートし、そのために日々学び、より良い情報を伝える役目があると自負しております。


また、皆さんが今の主治医やカウンセラー、鍼灸師などの先生方に対して、この先生はちょっと合わないなぁ…や、何か疑問が浮かんだ際には、悩まず別の専門家の先生方に相談しても良いのです。むしろ、別の先生に相談して下さい。

一番良い治療というのは、自分が信頼できる、この先生になら全てを任せられるという先生を見つけて、適宜相談しながら治療内容をご自身で決める事です。

悩んでるいるのであれば、言ってください。必ず力になれる事があるはずです。

我々医療者はそれらを受け止めて、より良い選択をしてもらえる様にする事ですから。



閲覧数:13回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating
bottom of page